七里ヶ浜の哀歌(真白き富士の嶺)
♫ 真白き富士の根 緑の江の島 ♪
七里ヶ浜の哀歌 作詞:三角 錫子 作曲:ジェレマイア・インガルス
1
真白き富士の根 緑の江の島
仰ぎ見るも 今は涙
帰らぬ十二の 雄々しきみ魂に
捧げまつる 胸と心
2
ボートは沈みぬ 千尋の海原
風も波も 小さき腕に
力もつきはて 呼ぶ名は父母
恨みは深し 七里ヶ浜辺
3
み雪は咽びぬ 風さえ騒ぎて
月も星も 影をひそめ
み魂よ何処に 迷いておわすか
帰れ早く 母の胸に
4
み空にかがやく 朝日のみ光
暗に沈む 親の心
黄金も宝も 何しに集めん
神よ早く 我も召せよ
5
雲間に昇りし きのうの月影
今は見えぬ 人の姿
悲しさ余りて 寝られぬ枕に
響く波の おとも高し
6
帰らぬ波路に 友よぶ千鳥に
我も恋し 失せし人よ
尽きせぬ恨みに 泣くねは共ども
今日も明日も かくてとわに
この歌は1910年(明治43年)1月23日に起きた、逗子開成中学校の生徒12人を乗せたボートが転覆、全員死亡した事故を歌ったものです。
その年の2月に追悼大会があり、鎌倉女学校生徒らによって、鎮魂歌としてこの歌が初演されたそうです。
1915年(大正4年)にレコード発売され、翌年には「哀歌 真白き富士の根」の
題名で歌詞と楽譜が刊行され歌謡曲として広く知られるようになりました。
原題は「七里ヶ浜の哀歌」でしたが、歌い出しの歌詞から「真白き富士の根」と呼ぶようになり、また1935年(昭和10年)に松竹が同名の映画を制作しました。1954年(昭和29年)には大映も映画化、このときのタイトルが「真白き富士の嶺(ね)」とされたことからこの表記も一般化されています。