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並木の雨

並木の雨

♫ 並木の路に 雨が降る ♪



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並木の雨  作詞:髙橋 掬太郎  作曲:原野 為二

歌詞は著作権保護期間中のため掲載を控えます。

作曲の「原野為二」は「池田不二男」のペンネームで、他にも「金子史郎」「池上敏夫」なども使っていました。

1934年(昭和9年)、ミス・コロムビアの歌で日本コロムビアからレコード発売され、ヒットした歌です。

ミス・コロムビアとは
本名は「松原 操」で、1911年(明治44年)北海道小樽市生まれ、東京音楽学校(現・東京芸術大学)卒業後、1933年(昭和8年)にコロムビアのオーディションに合格し、「ミス・コロムビア」という覆面歌手として、宣伝の写真にも目隠しをして『浮草の唄』でデビューしました。

1933年、松竹映画「十九の春」の同名の主題歌が、ミス・コロムビアの歌で発売されると大ヒット。その後は、「並木の雨」『秋の銀座」などのヒットをかさね流行歌手として人気を得ました。

その後は松原操として歌った「婦人愛国の歌」「兵隊さんよありがとう」などがヒット、1938年(昭和13年)霧島昇とデュエットした松竹映画「愛染かつら」の主題歌「旅の夜風」「悲しき子守唄」などが大ヒットとなりました。

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「旅の夜風」のヒットで霧島昇との共演が多くなり、二人の関係が親密となっていきましたが霧島は当時の人気歌手。高峰三枝子などの歌手とのスキャンダルが取り上げられると、すでに長男を身篭っていた松原操は結婚を霧島に迫り、1939年(昭和14年)作曲家の山田耕筰夫妻の媒酌によって結婚したのです。1948年(昭和23年)には『三百六十五夜』を夫・霧島昇とともにレコーディングしたのを最後に引退しました。

1984年(昭和59年)4月、霧島が69歳で逝去、当時霧島と別の病院に入院中であった操は、病身を押しながら葬儀を執り行い、霧島昇の49日の法要を終えました。それから間もなくしてまるで夫の後を追うかのように6月に73歳でこの世を去り、霧島昇と同じ東京都の長谷寺に眠っているということです。
(参考資料:wikipedia・松原 操)


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